東京有楽町の東京国際フォーラム・ガラス棟の会議室で会議があり、行ってきました。
北側の入り口を入った所に、開都500年記念(1956年)で建立した太田道灌の銅像が皇居(江戸城)を向いて立っています。大田道灌(1432~1486)は、室町時代の中興の祖、江戸城を築いた武将であり、歌人でもあった人物です。
私が小学校低学年だった頃、母と一緒にお風呂の入った時に、母が太田道灌の話をしてくれたのを今でも鮮明に覚えています。
その話とは・・・・・・・。
ある日、太田道灌が鷹狩りにでかけてにわか雨にあってしまい、山中のみすぼらしい家を見つけて雨具の蓑を貸してもらおうと道灌が声をかけると、まだ年端もいかぬ少女で出てきてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌は近臣にこのこと話すと、近臣の一人中村重頼が進み出て『後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。』といいました。
驚いた道灌は己の不勉強を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。
おまえも大田道灌を見習って偉い人に成るように、という思いが母にはあったのでしょうね。 しかし、遊びたい盛りの郁雄少年は、全然勉強をしませんでした。