オーナーズ・アイ一覧

大人の少年誌「ラピタ」


1月6日、東京に会議で行った帰り東京駅の本屋で、ラピタを手にとってパラパラめくっていたら、「カリフォルニア・ワインの時刻表」という記事が載っていたので買って新幹線の中で読んできました。
―ナパからセント・ヘレナまでの21マイルを往復しながらワインと料理を楽しむワイン・トレイン。列車は、・・・・。―   
ゆったりとした時の流れ、いいなぁ~、行って乗ってみたいなぁ~、計画を立てよぅ~と。

「ラピタ」は下記のような但し書きがContents のページに書いてあります。
【おことわり】この雑誌は、40歳以下の読者を想定しておりません。ゆえに、しばしば若者には意味不明な言葉や、見たこともないモノが登場します。とくに説明などしませんので、そのつもりでお読みください。

これだけ強気に読者の的を絞り込んで作っていますから、50’S~60’Sの事がしばしば掲載されていて、時々買ってしまいます。
昭和レトロという言葉もあります。私のようなオーバー50を対象にビジネスが成り立つ時代なのでしょうね。

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あきない手拭


仙台市の商店街クリスロードにある三瀧山不動院(開運招福、商売繁盛、真言密教、加持祈祷の寺。酉年生まれの守り本尊(不動明王)・眼の守護仏安置の寺。開運を呼ぶ福の神・仙臺四郎安置の寺)から仙臺四郎の絵が書いてあるあきない手拭を社員が買ってきました。
手拭には次のようなことが書かれています。

     あきない

商売はあきないという
 それはおもしろくて
 しょうがないから
あきないなのだ
 いつもおましろいから       あきない商売を
 笑顔がたえないから           おもしろくないと
「笑売」となる             思っているとすぐあきる
 「いらっしゃいませ」        いつも不平不満や
 「ありがとうございます」      愚痴がでて心が次第に
 いつも活発だから             傷ついた
「勝売」となる           「傷売」となってしまう
                     こんなお店には そのうち
                     誰もよりつかなくかり
                    「消売」となって消えてしまう
                     「笑売」しているのか
                       「傷売」をしているのか
                     「勝売」をしているのか
                   あきない商売をしているのか                        

このあきない手拭を読んで感じたことがあります。
ジュエラー(宝石商)は、欧米で信用のある尊敬される職業ですが米国から帰国した1973年頃の宝石商に対する日本の銀行の評価は非常に低いものでした。その時から欧米のジュエラーのように、誰からも信頼される宝石商になろうと決心しました。
その気持は今でも変わりません。昨年の9月に社団法人日本ジュエリー協会(JJA)と宝石鑑別団体協議会(AGL)が『宝石もしくは装飾用に供される物質の定義および命名法に関する規定』について発表した、「加熱」「含侵」「照射」「コーティング」などの宝石の情報開示も、9月1日からインタージェムでは正札に明記してお客様に正しい情報を開示しています。それは、自社の損得よりも、お客様を守りたい、大切にしたいという思いからです。
『宝石もしくは装飾用に供される物質の定義および命名法に関する規定』が発表されて4ヶ月に成りますが、いまだに対応していないお店が多い現実に、何時になったら信頼される宝石業界になるのか憂えずにはいられません。

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遠方より友来たる


昨日、16:00頃に大学時代同じ研究室で寝食を共にしたT君がひょっこり訪ねて来ました。ひょうひょうとした風貌は、学生時代と変わらずに、おまけにずけずけと言う辛口の批評も相変わらずでした。そんな彼ですが、何故か学生時代からウマがあうのです。
最終の新幹線で東京に帰ると言うので17:30頃、会社を出てフランス料理の「かのう」で、おつまみになるようなのを頼み、日本酒(フランス料理店なのですが日本酒も置いています)を飲みながら、しばし旧好を温めました。


JR池袋駅の「いけふくろう」


昨日、入院した友人のお見舞いに西武池袋線の清瀬まで行ってきました。
友人の元気な顔を見て安心し、帰路につきました。

西武池袋線は、35年ぶりに乗りました。
学生時代、朝霞のオリンピック射撃場で試合があると、仙台から東北本線の夜行列車に乗って上野に行き、山手線で池袋へ、池袋から西武池袋線に乗り換えて大泉学園で降り、そこから朝霞の会場までバスで行ったのが懐かしく思い出されます。

池袋でJR山手線に乗り換えの為、東口から改札口に向かって歩くとフクロウの石造が通路の中央にあり避けて通り過ぎようとしてそのふくろうの下の文字を見てびっくり「いけふくろう」と書いてあります。
「いけふくろう」「いけふくろ」「いけぶくろ(池袋)」すごい。
思わず戻って写真をパチリ!

西洋でフクロウは、知恵・学問の神様です。日本では、ふくろう=不苦労と読ませてお守りにしております。
ジュエリーでもふくろうをデザインしたものが出ています。

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夜はアンブロジアで・・・


昨夜は、雑誌社Zの編集長Tさんと20:00ごろからアンブロジアで食事をしました。
はじめシャンパンのモエ・エ・シャンドンのハーフボトルを頼みました。私は、注がれたシャンパンが細めのグラスの底から無数の小さな気泡が湧き上がって来るさまを見るのが好きなのです。それでいつもアンブロジアでは、シャンパンからスタートします。
おつまみコースを頼み赤ワイン(銘柄のチェックを忘れました)1本を二人で飲みながらスポーツの話、趣味の話、家族の話、そしてちょっと仕事の話もしたかな・・・・。

実は、Tさんとは昨日(14日)が初対面。仙台に転勤してきたので挨拶にみえられたのです。なんとなく共通の価値観を持っているような気がしたので、帰り際に「今度一緒に飲みましょう。」と話したら、「是非今年中に」とメールで来ました。
外交辞令の嫌いな私は、スケジュール表を見たらあいている日は作日しかなかったので、急遽なじみのアンブロジアで食事ということに成りました。

アンブロジアを出たのが22:30頃、お互いに飲み足りない事を察して2軒目に、バーボンのアイ・ダブリュー・ハ-パーの水割りを飲みながら旅行の話などで盛り上がって気がついたら午前様でした。


必然の結果


『これからカレンダーをお届けします』というK君の電話を戴き、今年もあと20日余り、アッというまにい一年が過ぎようとしています。彼が持ってきたのは、金運と大きく書かれた大吉招福ごよみでした。2005年が良い年でありますようにと願わずにはいられません。
『年に1、2度しか会えないお客様もいらっしゃいますので、今年1年お世話になった感謝の気持を忘れずに、この年末に一人々々ご挨拶をしながら回るのです。これから100人以上の方たちにカレンダーをお届けするんです。』と言って帰りました。
彼が、転職してから毎年業績を伸ばして来ているのは、いつもお客様を大切に思う気持の結果だとあらためて感心しました。

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商売の難しさと楽しさ


11月29日からオーナーズノートをブログにしました。私のことですから小さな子供におもちゃを与えたように、付いている機能使って色々試していました。

処が昨夜、他のブログにあって私のブログにはない機能があるのが分りました。管理上どうしても必要なので、リングファクトリーの岩崎さんに聞きました。
色々調べてから、初めから付いていないので別のブログに変えないといけない、そうすると手間代と設置料が新たに発生すると言われ、これ以上の出費は控えたいと思い、半分諦めと付いていない機能のソフトを作れないかと考えたりして昨夜は悶々とした夜を過しました。

今朝、会社に出ると岩崎さんから電話があったと言うので電話をしたら、『昨夜から新しいブログに置き換える作業をしています、こちらのブログの選定ミスですから無料でやり直します。』との返事に彼のところに頼んでよかったと思いました。
初めから設定し直して、過去ログを移し変える手間は大変な事だと思います。時間と労力と引き換えに得たものは何だったでしょうか。それは、なにものにも代えがたいビジネスにおける信用と信頼だとおもいます。

私も、お客様の誤解や、こちらの説明不足で何度もやり直したりお叱りを頂戴したりしましたが、その都度お客様の立場だったらと考えて行動してきました。
来年はインタージェム設立30年、多くのお客様から教えられ、励まされ、何度助けられたか分りません。
商売の楽しさは、沢山の方との出会いがあることではないでしょうか。


結婚披露宴に出席して


10月29日に『披露宴のご招待状が届きました』 で書きました小野寺一貴さんと和香子さんの披露宴が20日の土曜日にありました。
お二人は既に5月3日に入籍を済ませ、新婚生活を新居でお暮らしです。
仙台メトロポリタンホテルでも大きい披露宴会場でご出席者は160名を越えておりました。
今風に仲人のいない披露宴でしたが、鏡割りがあり、お色直しがあってキャンドルサービス、ご両親に花束贈呈と宴が進みました。

私の持論ですが、披露宴は新郎新婦が自分達の為にするのではなく、恩師、お友達、ご親戚にお世話に成ったお礼と結婚をした報告だと思うのです。そして特に今まで育ててくれたご両親への感謝の気持を表す場だと思うのです。

小野寺一貴さんと和香子さんは、とてもその辺の心配りが素晴らしく、とても良い披露宴でした。
ご招待心からお礼申し上げます。

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披露宴のご招待状が届きました


先月初旬に披露宴のご招待状が届きました。
郁雄の雄の字が夫になっていましたが、お祝い事ですから全然問題ありません。
それよりも差出人をみて驚きました。今年の初売りで婚約指輪を決めて頂いたお客様からのご招待状だったのです。人生57年、親戚・友人・知人・先輩・後輩・仕事関係からの披露宴のご招待状は戴いたことがありますが、こんな嬉しいご招待状を戴いたのは初めてです。インタージェムを開業して来年30年に成りますが感激で一杯です。

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太田道灌の山吹の話


東京有楽町の東京国際フォーラム・ガラス棟の会議室で会議があり、行ってきました。
北側の入り口を入った所に、開都500年記念(1956年)で建立した太田道灌の銅像が皇居(江戸城)を向いて立っています。大田道灌(1432~1486)は、室町時代の中興の祖、江戸城を築いた武将であり、歌人でもあった人物です。

私が小学校低学年だった頃、母と一緒にお風呂の入った時に、母が太田道灌の話をしてくれたのを今でも鮮明に覚えています。
その話とは・・・・・・・。

ある日、太田道灌が鷹狩りにでかけてにわか雨にあってしまい、山中のみすぼらしい家を見つけて雨具の蓑を貸してもらおうと道灌が声をかけると、まだ年端もいかぬ少女で出てきてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。
その夜、道灌は近臣にこのこと話すと、近臣の一人中村重頼が進み出て『後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。』といいました。
驚いた道灌は己の不勉強を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。

おまえも大田道灌を見習って偉い人に成るように、という思いが母にはあったのでしょうね。 しかし、遊びたい盛りの郁雄少年は、全然勉強をしませんでした。

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