アート・音楽・映画・本一覧

投稿されたコメントからの郷愁


昨夜、よしださんというか方から以前のブログ「仙台東宝映画館が閉館」のコメント欄に下記のような投稿を頂きました。

「はじめて拝見します。私は最近、市川雷蔵さんのファンになりました。
そこで『雷蔵、雷蔵を語る』をよみましら、仙都劇場の新装に合わせて来仙されたことがかいてありました。すでに劇場がないので、劇場のその後の事やその当時の事をもしご存知であれば教えて下さい。お願いします。」

このコメントを頂いて当時を想い懐かしくなりました。
返信コメントにも書きましたが、仙都劇場は大映映画の専属上映館でした。私は、小学生から大学生になるまで「赤銅鈴ノ助」、「ガメラ」、「大魔神」、長谷川一夫の「銭形平次」、勝新太郎と田宮二郎の名コンビ「悪名」、勝新太郎と田村高廣の「兵隊やくざ」、勝新太郎の代表作「座頭市」、市川雷蔵の「眠狂四郎」等を見て育ちました。
仙都劇場は、TVの台頭による映画の斜陽時代をむかえた昭和42年(1967年)に取壊され、昭和44年2月に仙都会館ビルとして最上階に「仙台シティーホテル」(今はありません)が入りったオフィスビルとして生まれ変わりました。
私にとって仙都会館ビルは、昭和46年(1971年)に「仙台シティーホテル」で結婚式を挙げた思い出の場所なのです。

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007シリーズ『カジノ・ロワイヤル』を見て来ました。


『カジノ・ロワイヤル』パンフレット 昨夜、長町にあるMOVIX仙台に行って20:20から上映する007シリーズ21作目の『カジノ・ロワイヤル』を見て来ました。2005年2月6日に映画『オペラ座の怪人』を同じくMOVIX仙台の劇場で見て以来、久しぶりの大画面でした。イアン・フレミングの最初の作品が「カジノ・ロワイヤル」で、ジェームズ・ボンドが007になる時からの物語ですからエピソード1という事になります。 ストーリー展開が速く、アクション場面もCGを多用せず、ハイテク機器も登場しない原作の意図を汲んだ作りは好感が持てます。最近の007シリーズは、余りに荒唐無稽な物語になっていました。今回の『カジノ・ロワイヤル』も出来は悪くは無いのですが私の個人的感想では、007シリーズで第2作の 『007ロシアより愛をこめて(From Russia with Love) 』 が最高で、007シリーズでこの作品の右に出る作品は今のところありません。
どうしてこんなに007について語るのか、それは映画第1作目は『007 ドクター・ノオ(Dr. No) 』 1962年(昭和37年)で邦題『007は殺しの番号』を見たのが高校1年生でした。それ以来ショーン・コネリー主演の番外編を除いた007シリーズ6作品は、その当時ビデオなどが無い時代でしたから全て封切館で見ました。映画が唯一の娯楽だった少年時代に見た映画からの影響は大きく、ジェームズ・ボンドのカッコ良さに憧れて大学に入ってから小遣いを叩いてモデル・ガン「ワルサーPPK」を買いに上野のアメ横まで行ったのを思いだします。
下のパンフレットは、劇場で見たときに求めた物です。左から
第2作 『007ロシアより愛をこめて(From Russia with Love) 』 (1963年)
      日本初公開時の邦題は『007 危機一発』
第3作『007 ゴールドフィンガー(Goldfinger) 』 (1964年)
第4作『007 サンダーボール作戦(Thunderball) 』 (1965年)
第5作『007は二度死ぬ(You Only Live Twice) 』 (1967年)
第7作『007ダイヤモンドは永遠に(Diamonds Are Forever) 』 (1971年)

007シリーズパンフレット

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宝石のようにキラキラした響


ピアノ・リサイタル 昨夜、仙台市青年文化センターで19:00から行われた「浦山純子ピアノ・リサイタル」に行ってきました。実を言いますと、10年程前にロス・アンジェルスの野外音楽堂ハリウッド・ボールでクラッシック音楽のオーケストラ演奏を聴きに行ったのですが、演奏が始まって5分もしない内に眠ってしまいほとんど聴いていませんでした。そんな過去があるので、浦山さんの演奏中は眠らないようにと思っていました。彼女がピアノに向かい鍵盤をたたいた瞬間、そこから奏でられる宝石のようにキラキラした躍動感あふれる音にびっくりしました。素晴らしい!聴く者の心に響く旋律は、一流の奏者の証だと思いました。とかくクラッシック音楽は、インテリジェントな人々のチョットすまして聴く音楽だと思っていたのですが、そうではないのですね。
NHK交響楽団首席奏者の中野富雄さんのフルートとの共演も、フルートの澄んだ音と、ピアノの弾んだ音のコントラストと融和がなんとも言えず素晴らしかったです。勿論、眠らなかったです!

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浦山純子ピアノリサイタル10月23日(月)


愛妻の同級生でJR会津駅長、郡山駅長を歴任した浦山さんのお嬢さん純子さんが10月23日(月)に仙台市青年文化センターでピアノ・リサイタルをします。
浦山純子さんは、1995年ラジヴィーウ国際ピアノコンクール優勝、及び最優秀ショパン賞(ポーランド)、1998年ポリーノ国際ピアノコンクール最高位(イタリア)をはじめとする数々の賞を受賞。1996年よりロンドンを本拠に国際舞台で活躍しています。
是非、素晴らしいピアノ演奏を聴きに行ってみてください。

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「少年よ大志を抱け」-Dr.コトー診療所2006から-


・・・この辞書は、いつか君に話した、僕の命の恩人、僕が盲腸で死に掛けたとき、助けてくれた先生が、僕が医学部を目指すと決めたとき、頂いたものです。…
使い古しで悪いけど君に進呈します。…
ここに書いてあるのは、その先生から贈られた言葉、…ボーイズビーアンビシャス、という言葉を知っていますか、…そしてその後に何が続くか。…
少年よ大志を抱け、
お金のためではなく、
自分のためでもなく、
名声という空虚な志のためでもなく、
人はいかにあるべきか、
その道をまっとうするために大志をいだけ

と続くのです。・・・

このセリフは、先週の木曜日10月12日に放映された「Dr.コトー診療所2006」第1話で、コトー先生が剛洋(たけひろ)の中学受験合格のお祝いに英和辞書を郵送して剛洋が包みを解くところからのものです。
この有名な「少年よ大志を抱け」のフレーズは、誰でも1度は聞いた事があると思います。この言葉は、北海道大学(前札幌農学校)初代教頭のウィリアム・S・クラーク博士(1826~1886)が、明治10年(1877年)にアメリカに帰国する時に、見送りに来た10人ほどの学生に残した宝石のように輝きのある言葉です。しかし私は、「Dr.コトー診療所2006」の第1話を見て、その後に続くことばを知り、新鮮な驚きと感動で心が打たれました。

「Dr.コトー診療所2006」は、小学館週刊ヤングサンデーで連載、単行本は450万部を超える大ヒットとなって、フジテレビ系列で、2003年7月3日から同年9月11日まで木曜劇場の枠で、ドラマ化放送された「Dr.コトー診療所」の続編です。私は、「Dr.コトー診療所」の第8話を偶然見てからこのドラマが好きになり毎週見ていたので、「Dr.コトー診療所2006」が始まると聞いて楽しみにしていました。前回同様、病気・命・家族といった普遍的テーマを、濃密な人間関係で描くヒューマンドラマ「Dr.コトー診療所2006」は、私のお薦めドラマです。
今日の22:00から第2話がTV放送されます。

下記に「少年よ大志を抱け」の原文と通常訳されている文を書いておきます。
Boys be ambitious,
not for money, not for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing men call fame.
But be ambitious for attainment of all that men ought to be.
少年よ大志を抱け。
お金のためでなく、自己顕示のためでなく、
名誉という空しいもののためでなく、
本来、人間があるべき姿のために大志を抱け

英和辞書に書かれていたBoys be ambitiousの英文

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仙台クラッシックフェスティバル


昨日11:20頃に、地下鉄の仙台駅で降りて会社に向かおうと改札口を出たらマリンバの音と人垣がありました。好奇心旺盛な私は、デジカメを片手に近づいていきますとマリンバとクラビノーバを演奏していました。曲が終わったときに司会の方が『せんくら地下鉄コンサート』と言っていました。そういえば10月7日(土)から9日(月)まで仙台クラッシックフェスティバル略してせんくら2006が開催されていて有料無料のコンサートが101回あると先月の夕刊で見た覚えがありました。近い将来、この催しが9月のジャズフェスと同じように仙台の大イベントになると思います。

せんくら2006
写真をクリックすると動画を見る事ができます。


ニューヨーク2日目 ④


メトロポリタン美術館 朝6:30起床。ホテルでゆっくりと朝食を取り8:30にホテルを出てタクシーでメトロポリタン美術館に10分で着き、9:00開館前に並びました。と言うのも9月の第一月曜日の4日は、アメリカの祝日レイバー・デー(Labor Day)で2日(土)から3連休と4日まで夏休みが重なって、ニューヨークは観光客でどこも人であふれています。メトロポリタン美術館で最初に見に行く所は、19世紀のヨーロッパの絵画・彫刻の展示場です。ロダンの彫刻、ゴッホ、ルノアール、モネ、セザンヌ、ドガなど等、中学校の美術の教科書で見た絵画や彫刻の実物を鑑賞できるからです。
ルイス・C・ティファニーのステンド・グラス、日本の甲冑、中国・朝鮮・日本の磁器、ヨーロッパの絵画、近代美術など12:00頃まで鑑賞してもほんの一部しか見ることが出来ませんでした。

名画の前で写真を撮る
ドガのバレリーナ 上の写真でもお分かりのように特に注意書きが無ければ常設展では、個人用・非営利目的の場合のみ、スチール写真の撮影が許可されています。但し、三脚とフラッシュの使用は出来ません。ですからこのように名画の前で記念撮影が可能なのです。
左の彫刻の写真は、ドガのバレリーナですが、スカートに触れようと手をかざした人(私ではありませんので念の為)がいましたがセンサーが働いて警告音が発せられました。
メトロポリタン美術館を後にしてプラザ合意で有名なプラザホテルで昼食をと思いましたら、全館改装してコンデミニアムになるようです。5番街(5thAv.)に向かうと、通りは写真のように人人・・・・で仙台の七夕のようでした。

5番街(5thAv.)

ペトロシアンPetrossian 夜はミュージカル「マンマ・ミーヤ!」を観る為に早めの食事をペトロシアンPetrossian (182 W. 58th St. at 7th Av.)でシアターメニューからスモークサーモンと鱸(スズキ)のグリル、デザート。それにアラカルトからこのお店の自慢キャビアとシャンパンを頼みました。スモーク・サーモンとキャビアのそりゃ美味しかった事、文字では表現できません。
18:30にペトロシアンを出てやっとタクシーを拾ってWinter Garden 劇場 (1636 Broadway at 50th St.)に着いたのは開演5分前でした。ミュージカル「マンマ・ミーヤ!」は、70年代のポップスグループ「ABBA」のヒットナンバー22曲が歌われ、最後は満席の会場が総立ちで拍手を贈る素晴らしいショーでした。

海の宝石キャビア他

ミュージカル「マンマ・ミーヤ!」の看板
つづきは、またあした。


ニューヨークに着きました ③


ブルックリン橋

飛行機は9月2日11:20定刻より10分ほど早くJ.Fケネディー空港に無事着陸しました。入国審査は両手の人差指の指紋採取と写真撮影に5分ほどですみ、税関を通って外にでると外は霧雨でした。迎えの車に乗ってしばらく走ると車窓からマンハッタンの摩天楼が見えてきました。マンハッタン島とブルックリン区を結ぶ米国で最も古い吊橋ブルックリン橋のたもとで写真を撮りました。このブルックリン橋が舞台になった映画が沢山あります。
例えば監督:ジェームズ・マンゴールド/出演:メグ・ライアン、ヒュ-・ジャックマンの[ニューヨークの恋人(KATE&LEOPOLD)]でNYの広告会社で働くキャリア・ウーマン、ケイト(メグ・ライアン)とブルックリン橋に偶然開いてしまったタイム・トンネルを通して19世紀からやって来た、レオポルド(ヒュ-・ジャックマン)と出会うラブコメディーや古くは監督 : ジョン・バダム /出演 : ジョン・トラボルタ の「サタデー・ナイト・フィーバー」です。
St. Regis Hotel  9.11のグランドゼロは、雨が強くなり駐車する場所が無く車窓から黙祷しました。9月2日から4日までアメリカは連休の為に観光客で街は大変混んでいましたのでエンパイヤステート・ビルディングは3時間待ちということでパスしました。宿泊はガイドブックに最高級ホテルにランクされている左写真のホテル セント・レジスSt. Regis Hotel (2E,55th St. at 5th Av.)です。
夕食はロックフェラービルの65階レインボーグリル30 Rockefeller Plaza 65th Floor NY ( bet. 49th Sts. & 50th Sts.)にしましたが残念ながら雨でNYの夜景は見えませんでした。つづきは、またあした。


広島へ出張、「生誕120年藤田嗣治展」を見る。


広島のメーカーH社から8月28日に行われる新作発表会のご案内状が届いておりましたので行く予定にしておりました。それと東京で見逃してしまった「生誕120年藤田嗣治展」が広島県立美術館で行われているので前日の27日に広島に入って見てきました。
小さな飛行機で仙台空港を9:40に離陸すると貞山掘が仙台湾の海岸線と平行しているのが見えます。広島県上空に来ると左手に瀬戸内海が見えてきて約1時間20分の空のたびが終わり広島空港に11:00に着きました。

CIMG0627.JPG

広島空港は高台にあり空港から市内へはリムジンバスに乗って広島市内のバスセンターまで約55分かかりました。そこからタクシーで広島県立美術館へ4月9日のブログに「藤田嗣治展を見に行こうと思う。」を書いてから約5ヶ月が経っていました。
日曜日なのにそんなに混んでおりませんでしたからゆっくり鑑賞することができました。これだけの数の作品を一堂に集める事はこれから先、中々出来ないと思いますので広島まで来た甲斐がありました。

CIMG0641.JPG

一連の藤田の作品を見ていて時代に翻弄された彼の生涯が絵画の中から感じ取れました。従軍画家として書いた何枚かの作品の中の「アッツ島玉砕」には、[T.Fijita 1943]とサインがアルファベットと年号が西暦で書かれていますが「紳兵の救出至る」と「血戦ガダルカナル」には[嗣治2603]とサインが漢字と年号が皇紀で書かれています。これは藤田の意思ではないと思われます。戦時中の軍部の意向が有っての事だと考えられます。しかし私の憶測でしかありませんので、どなたがこの件について知っていたら教えてください。


藤田嗣治展を見に行こうと思う。


昨日の事、米国宝石学会の卒業生で組織しているNGS・GIA-CLUBの会員用の掲示板に田中会長の[藤田嗣治展に行きました]という投稿があり[日本人での世界で一番有名な画家 藤田嗣治展が東京竹橋の東京国立近代美術館で開催されています。5月21日までその後京都、広島でも開催の予定です。私が一番気に入ったのは「裸婦の世界」の部門の数枚ですが乳白色の肌の裸婦が実に見事です。1920年代の最初のパリ、画廊の個展でピカソが画の前で三時間も立ち尽くして居たと伝説になっています。・・・・・]というコメントでした。
その後、以前トラックバックを頂いた「単身赴任 杜の都STIL」さんのブログを訪問しましたら2006・4・4の投稿「藤田嗣治:多彩な絵画世界」でやはり藤田嗣治展をご覧になったことが書いてありました。
日付けが変わった夜中、テレビのチャンネルを変えたらNHK教育テレビで「伝説の画家 藤田嗣治」を放映していました。途中からで藤田画伯が日本に帰国していたときに戦争画を絵がいた頃からのことでした。
藤田嗣治画伯の事を一日に3回も目にする事は、多分私に藤田嗣治展を見に行きなさいという事なのかもしれません。

4月16日 NHK教育 新日曜美術館 「パリの異邦人・藤田嗣治」
午前9・00~10・00  (再)午後8・00~9・00
放映します。